高野山真言宗 別格本山 温泉寺
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城崎温泉と温泉寺

城崎温泉と温泉寺の歴史

温泉寺は養老4年(720)に城崎温泉を開いた道智上人により天平10年(738)に開創された古刹です。 道智上人は衆生済度の大願を発して、諸国をめぐり、養老元年に城崎の地に来て、当所鎮守・四所明神の神託(夢告げ)により、一千日間ご修行をされその功徳あって温泉が湧出し(現在のまんだら湯)、城崎温泉が開かれる。  その後、大和(奈良)の長谷寺の観音さまと同木同作の由緒正しき観音像を得て、寺を開創。


温泉寺縁起( 城崎町指定文化財 )

末代山温泉寺の山号・寺号は、聖武天皇より「城崎温泉の守護寺」として賜わったもので、以来約千三百年の間、城崎温泉とその入湯客を見守る山陰の名刹です。

温泉寺縁起図温泉寺縁起図
海北友竹 筆
温泉寺本尊十一面観音にまつわる縁起図である。奈良時代の仏師嵆文は大和長谷寺の二丈六尺の十一面観音像を造った時、もう一軀の観音像を造らんとしたが完成せず、そのまま海中に投じたが、後に嵆文が湯治のため当地を訪れたところ円山川河口近くの田結庄にこの像が漂着していたのに出合った。仏縁の不思議さに感じ、像を完成し、道智上人を迎えて温泉寺を開創したという説話物語を描いている。図の上部から始まって下辺、右辺、さらに中央辺で終わる。左側下に「海北友竹画」の款記があり、江戸中期に友松の孫、友竹が描いたことがしられる。仏師嵆文は正しくは嵆文会といい、父文勲、弟の首勲とともに奈良時代の名工であり、法隆寺はじめ古刹の本尊を造立した伝承が多く、河内春日に住む唐の帰化人であったという。

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